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もうひとつの結婚式の実例集。玄光社刊 2018発行

手にしたみなさんのレビューを集めました。

ウチの新しい撮影テーマ

おばあちゃんをかわいくメイクして
みんなで集まって楽しい記念日をつくろう

日本の結婚式の歴史

ウエディング業界に疑問を持ったときに最初にしたことが、その歴史を調べることでした

写真を撮る人 三澤武彦の公式HP

名古屋市緑区鳴海町花井町6-10 ☎052-623-6547

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作/みさわたけひこ イラスト/市ノ瀬玲子・他

日本の結婚式の歴史

岐阜和装前撮り

もうひとつの結婚式 実家の江戸時代からの床の間 2014 岐阜 白川

結婚式の歴史の著者

はじめに

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これは2010から公開していた「日本の結婚式の歴史」の進化版です。
自分は長年、結婚式に撮影にたずさわってきました。
その中で結婚式に疑問を感じることも多々ありました。それが歴史を調べることになったきっかけです。
あれから多くの人から話を聞きつつ調べていくウチに、いろいろなことに気付かせていただきました。
私の主観を元に書いていますが、このページが結婚式に戸惑っている人たちや、結婚式にかかわる仕事をしている人たちの、道しるべになればいいなと思い書き直したものです。 
2016/1 三澤武彦

引用について

リンクを使っての引用は自由です。引用先にこのページ名「新・日本の結婚式の歴史」を明記して下さいね。
写真やイラスト、文章の転載はお断りしています。
テレビドラマや映画制作の時代考証担当の方から、お問合せが多くなりました。その場合はちゃんと調べてお答えしますのですべて有償になります。ただし調べても答えが出ないときもありますのでご了承下さい。
最近、卒論の資料として使っていただいてます。それはOKです。

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もうひとつの結婚式の実例集。玄光社刊 2018発行

手にしたみなさんのレビューを集めました。

目次と内容

●昔の結婚式 江戸時代〜明治 神前式の誕生
●本物の結婚式 大正元年の結婚ガイドブック
●結婚式の地域性 土地が変われば結婚式も変わる
●戦前の結婚式 豪華絢爛と戦争 
●社会の動きと結婚式 グラフ年表
●土地の文化としての結婚式 1960 結婚式の復活
●産業としての結婚式 1964 ブライダル産業の開花
●新しい風と業界再編成 バブルと結婚産業&ゼクシィーの功罪 
●まとめ

 

昔の結婚式


江戸時代~明治

神前式の誕生

一等国になりたかったニッポン
神前式はわざわざ作られた儀式。

キリスト教文化の中での結婚式は、唯一神との契約という意味があります。八百万の神がいる多神教の日本にそのような考え方がなかったのは当たり前なのです。。

 


もともと日本には結婚式という慣習はなかったらしいです。
道具入れ・嫁入り・祝言>の三つの行事を合わせて<婚礼の儀礼>としていました。
花嫁道具を運び(道具入れ)、花嫁が新郎家に移動し(嫁入り)、家に親戚縁者をもてなしてお披露目会(祝言)をしていました。

映画などで襖を取り払った自宅の広間でお膳を前に座っている絵を見たことがあるでしょう?

内容は地域によって細かな違いがあったそうが、祝言は今で言う人前式と披露宴が一緒になっている感じでした。
このころは<式>という明解な儀式はなく、婚礼の儀礼のこまかな行事を数日間にわたって行う感じです。たとえお寺で行われても「家内安全・願望成就」のご祈祷するだけで<式>とは別物でした。

お正月って<正月式>とかあるわけじゃないけど、お雑煮食べたり初詣行ったりお年玉もらったり…いろいろ行事があって、でも、どれがお正月式ってことはないでしょ。婚礼の行事もそんな感じだったのです。

結婚式という概念」が生まれる前の話です。

明治の中頃、皇族の方の結婚式で今に近い神前式が登場しました。
(神前式は案外新しいのです)

一説には欧米からの「結婚の儀式もない野蛮な国」という批判を受けて作られたらしいです。
神社にしてみても、いままでにない儀式だったのでその内容も手探りで、キリスト教の結婚式や仏前のご祈祷の内容を参考にしたと言われています。(実際、仏前式も神前式も内容はかなり似ています)

このとき日本人は新しい価値観を知りました。
結婚式という結婚の儀式がある。

皇族の結婚式であり、新聞で全国に紹介され、これ以降、神前式が全国的に広まった言われています。
 

 

本物の結婚式

本物の結婚式

このページを訪れる人はホンモノの結婚式を捜している人が多いです。

以前の結婚式の歴史のページでアンケートを採ってました。
「本当の結婚式 本物の結婚式」
それを知りたくて、結婚式の歴史を調べている人が多いみたいです。
ある意味、今の結婚式に本物感を感じないのかも知れないです。

※新しいアンケートをやってます。別ウイドウが開きます。

大正元年 結婚ガイドブック

昔の結婚式の資料
昔の結婚式の資料2

<国立国会図書館デジタルデータベースより引用>

「結婚式概要」
大正元年発行の結婚式のガイドブックです。
これにはもしかしたら昔ながらの本物本当の結婚式が載っているかもしれません。
そう思って調べてました。

冒頭の文を少し自分で読み下してみました。

 

日本の婚礼文化のもとをただしていくと、京都を発祥とする貴族の雅なる文化なのでしょう。
それに対抗して鎌倉時代頃に質実剛健な武家の文化が生まれ、江戸時代に続いてゆきます。
実際には、それらを参考にしたり影響を受けながらも、日本各地でその土地にに暮らす人たちがそれぞれの自分たち文化を育んできました。

自分も最初戸惑ったのですが、婚礼の撮影に行った先で、自分の住んでいる地域と違うことが行われてることは日常茶飯事です。それが間違っていると言うことではありません、そもそも自分が知ってることが正しいなんて何の根拠もありません。

結婚式はよく正月のお雑煮にたとえられます。
それぞれの地域のお雑煮があるし、それぞれの家の味がある。全国共通の本物なんてありません。
つい形式に囚われがちになりますが、お雑煮にしてみれば、お正月にみんな揃って笑顔で家の味を食べられたらそれでイイわけです。
結婚式もホントそんなふうに考えていくと楽になると思うわけです。

本物の結婚式って何ですか?」それは、
「本物の家庭の味ってどんな味ですか?」そう聞いてるような違和感ある言葉だと気付かされました。

結婚式の地域性

もうひとつの結婚式 花嫁行列 2015 飛騨白鳥

結婚式は、人にとって重大な儀式なので、つつしんでこれを行い心残りにならないように注意するべきです。

でも最近の我国の礼法作法はとても乱れ、その中でも婚礼は、その段取りや方法は一定の標準が無くなってきています。昔からいろいろな儀式礼法はあるのですが、多くは武家の儀式であり、いにしえの優雅なる儀式ではありません。またその儀式もとても大がかりで準備が大変で、費用もかさむため、今日では上流社会の一部でまれに行われるのみです。一般民間ではそう簡単に手を出すことが出来ません。

その上、欧米各国の風俗や作法が伝わり、婚礼をめぐる環境はさらにとても混乱を招きやすいモノになってきました・・・云々 つづく

この時点ですでに、婚礼の作法が乱れていると感じられていたみたいです。

結婚式は昔から、とても流行に左右されやすいモノだったんでしょうね。

武家の儀式<貴族の儀式 そんなニュアンスが伝わってきます。

東京ではこのあと関東大震災が起こり、多くの家がなくなり離散してしまい家が持っていた婚礼文化、地域が持っていた婚礼文化が薄れてゆくようです。

リンク切れを復活させました。

 

戦前の結婚式

第二次世界大戦がはじまる1940年(昭和15年)の日本の国民総生産(GDP)は、戦後15年たった昭和35年と同じくらいでした。
戦前の日本は私たちが想像するよりもずっと豊かだったのです。

この頃の結婚は家同士の結婚であり、その準備も親がする時代でした。
娘の幸せを願う花嫁両親の気持ちのあらわれとして婚礼は豪華絢爛に行われていました。
それが娘への愛情表現でもあったのです。

立派な結婚式=幸せの図式は、結婚式が家同士のことから二人のモノに変わっても、本来の意味を失って、ずっと引き継がれることになります。

【金襴緞子】錦織と繻子織。高級織物の代表である二つを並べ、贅を尽くした高価で美しいものという形容詞として使われた。

【花嫁御寮】花嫁さんを敬ったり親しみを込めて言う言葉。花嫁御ともいう。御寮とは、家督や配偶の候補者。御寮人。ご両人は当て字。 関連語 姉御(あねご)

【文金島田】文金高島田ともいう。花嫁さんのカツラの髪型をイメージして下さい。

【鹿の子】鹿の子模様のこと。赤地に白い斑点が鹿の模様に似てることから。バリエーション豊富。

昭和初期の花嫁さん

昭和初期に描かれた花嫁さんのスケッチ





取材先でおばあちゃんの話を聞いていると、

大正〜昭和初期の結婚式が一番派手だったみたいです。


そのころ流行した歌。
花嫁人形」蕗谷虹児(ふきやこうじ)作詞 大正13年発表
 


金襴緞子(きんらんどんす)の 帯しめながら    

花嫁御寮(はなよめごりょう)は なぜ泣くのだろ   

 

文金島田(ぶんきんしまだ)に 髪結いながら

花嫁御寮は なぜ泣くのだろ

 

あねさんごっこの 花嫁人形は

赤い鹿の子(かのこ)の 振袖着てる

 

泣けば鹿の子の たもとがきれる

涙で鹿の子の 赤い紅にじむ

 

泣くに泣かれぬ 花嫁人形は

赤い鹿の子の 千代紙衣装
 

女の子にとって花嫁さんはいつも時代も憧れでした。

大正時代、女学生向け雑誌に掲載され、その後、曲が付けられレコード化されました。

筆者の明治生まれのおばあちゃんが、女学生だった頃の時代です。

女の子にとって花嫁さんは、いつの時代も憧れだったのでしょうね。

軍事体制下の自粛

ただ、日清戦争 日露戦争 満州事変・・・度重なる戦争は婚礼にも影をおとしていきます。

どんどん派手になってゆく婚礼を質素にするように国からの通達がでるようになり、白無垢は自粛されていきました。なので昭和初期の花嫁さんの衣装は、黒引き振袖が多くなりました。それでも花嫁さん達は、裏地の柄を豪華にしたりしてひそかにお洒落を楽しんでいたのでした。

娘が三人もいれば,嫁入り支度でお金がかかり家が潰れてしまうということわざ。

昔の結婚式の方が豪華でした。

以前テレビ番組制作の人から、問い合わせがありました。

昔の結婚式は質素で、現代は豪華という事を説明したいので昔の結婚式の写真を貸して下さいと。
多くの人が、昔の結婚式→質素 現代→豪華というイメージを持っているみたいです。
実は、昔の結婚式の方がキリがないくらいお金がかかっていたのです。
婚礼の儀は通常3日から7日ほどかかりました。

現在の結婚式は、効率を求めて数時間で終わるように大幅に簡略化したものなのです。

娘三人持てば身代つぶす

戦争と結婚式

欲しがりません勝つまでは

昭和13年国家総動員法が公布され、日本は戦時体制に入りました。
婚礼はより質素に行うように、法律で定められてしまいます。
それは衣装や道具いたるまで細かく制限されたそうです。
それもたびたび改正され、どんどん厳しくなってきました。

最終的に戦争末期の頃は、婚礼は
国民服で行うように定められました。

 

戦争が終わって結婚式は一気に自由になったのでしょうか?

いえ、実はそんなことはないのです。
終戦直後、多くの人たちが婚姻し、第一次ベビーブームを作ってゆくのですが、

昭和20年〜26年の占領下時代、結婚式の写真や記録はほとんど見つからないのです。

籍は入れたけど式は挙げてない

 

戦争中の質素を促す法律はなくなっても、まずモノがない。都市部ほどモノがない。
ちょうど震災の直後の状況に似ていて、この先、日本がどうなるかわからない。お祭ムードで祝おうという雰囲気でもなかったようです。

終戦と占領下時代

 

社会の動きと結婚式

姻数 日本の人口 国民総生産 日経平均株価 アメリカの株価 インターネット普及率 スマートフォン普及率 それらをすべてひとつにし、社会的な動きを年表として書き加えました。
婚姻数=入籍した人の数です。結婚式場やホテルで挙式した人という統計は古い時代のモノがないのです。でも挙式数はおよそ婚姻数と比例すると予想できます。2015年以降は筆者の予想です。

社会の動きと結婚式の歴史

<2015アスカネット結婚写真の歴史についてのセミナー資料 ©三澤武彦写真事務所>

 

土地の文化としての結婚式 〜1960年代 昭和30年代頃〜

富山和装前撮り

もうひとつの結婚式 おばあちゃんのアルバム 2015 富山滑川

1951年(昭和26年)頃〜
結婚式の復活

1954年 昭和29年 富山県滑川

花嫁さんが実家を出る様子を撮影したもの。
婚礼はもともと地域あげての行事。
家と土地の文化だったということが伝わってきます。

撮影に行った先々の家で、古いアルバムを見せてもらうのを日課としています。

ふたたび婚礼の様子を写した写真や資料が見つかるのは、占領軍がいなくなる昭和26年以降になってからが多いです。
厳しい戦争があっても、婚礼文化はちゃんと土地ごとに残っていました。
しかし、どこで話を聞いてもモノがなくて厳しい時代だったということを話されます。
戦前に比べるとまだ控え目な嫁入り支度しかできなかったみたいです。
 

証言

昭和27年に愛知三河地方で結婚したおばあちゃんから聞いた話。

自分の結婚式よりも、大正時代に嫁入りした義母の婚礼の方が豪華でお祭みたいだったと、うらやましそうに話していました。

1960年(昭和30年)頃〜
白無垢の復活

1951年 昭和26年 広島県 詳細地不明

物資がなかった時代にこれだけの花嫁道具を揃えることができるのは、かなり裕福な家でであると推測できます。 

1960年 昭和30年頃 広島県 呉

呉港にある、かつての海軍御用達の老舗料亭で行われた祝言の模様。戦後10年たつとお色直しも行われています。
広島/石田カメラさんから

貸衣装屋さんが復活すると共に、白無垢もふたたび見られるようになりました。
 

都市部の戦後の結婚式

戦争の空襲で焼け野原になった都市部では、地方ほど土地ごとの婚礼文化が残りませんでした。
戦後の住宅事情などの影響もあり、自宅で祝言を挙げることが難しくなりました。

かわって公共の施設や広い会場をかりて祝言同様の披露宴を挙げるようになりました。
会場は地域の公民館や集会所、料亭や旅館・ホテル、だったりしたそうです。

この会場を貸す業者の中から、のちの結婚式場が誕生したと言われています。

 

産業としての結婚式 〜1964(昭和39)年代頃〜


東京オリンピックと
ブライダル産業の開花

クリックすると拡大します。

1960年の所得倍増計画から高度経済成長時代に入ったと言われています。

当時ときめく大スターの石原裕次郎さんがホテルで結婚式を挙げたのもとても影響がありました。

交通網の発展もこれを後押ししました。
1964年東海道新幹線開業
1968年東名高速道路開通

遠方からの人を呼ぶことが可能になったのです。

時代は高度経済成長期。
1964年の東京オリンピックを契機に東京では大型ホテルが乱立することになりました。
オリンピックが終わってから、過剰にあまるホテルの施設をバンケットに利用する動きがはじまります。

神主さんのホテルへの出張が一般化するのもこの頃から。
(神主さんの出張のはじまりは関東大震災がきっかけと言われています)
かつては数日かかっていた婚礼が、式も披露宴もすべて数時間でホテルの中だけで完結(総合結婚式)できることになり「ブライダル産業・結婚産業のはじまり」といわれています。
(結婚産業の元は明治からあると言われていますが、広まるきっかけが東京オリンピックでした)

何よりそれまでの
自分の家で祝言を挙げる事ができないから、しかたなく公共施設やホテルでいう考えが
「ホテルで結婚式をしたい!」という価値観の大変換がおこりました。


それまで結婚は家同士の行事で親主導のものでした。そのしがらみを煩わしく感じたり、逃れたい二人の気持ちの後押しもあって流行していきます。

まず東京で総合結婚式の流行がはじまりました。

高度経済成長期と
ブライダル産業の絶頂期

クリックすると拡大します。

1970年に婚姻数はピークに達します。
ブライダル産業の発展は、これに乗った感じです。
 

東京からはじまった「総合結婚式」の流行は高度経済成長期の一億みな平等の波に乗ってたちまち全国的な流行になってゆきます。
ちょうど第一次ベビーブームの人たち、団塊の世代の人たちが結婚するころです。

大型の専門式場がチェーン展開して広まっていったのもこの頃。1970年前後。
結婚式が産業として絶頂を向かえた時期といえます。

日本中どこでも同じような結婚式が行われるようになって、トコロテン方式とも揶揄されていました。
この頃は、結婚が決まったら二人で式場やホテルを見に行くのが当たり前になってゆきました。

結婚式はホテルや結婚式場でするものだという概念ができてゆきました。

1970-1980年代の世相

トヨタ博物館収蔵物よりの引用

文化と産業の
ハイブリッド現象

1980年代 富山県

1980年代 愛知県

1970年代 1980年代、ブライダル産業・結婚産業が発展しても、実は、その土地に伝わる「嫁入り文化」はちゃんと残っていました。
花嫁家での行事は済ませ、そのあとホテルや式場に向かう形です。

物理的な広さが必要だったり、交通の便の良かったり、料理の準備がいらないなど、結婚産業の施設を利用する利点がありました。
家の行事もして親達も満足し、自分たちも流行の会場で結婚式を出来るので、言わば、良いとこどりのハイブリッド方式でした。

 

1980年代 愛知県 家のお仏壇に参って、結婚式場に向かいます。

東西の文化差

結婚式に関して調べるため、いろいろな人にお話を伺いました。

その中で、東と西の文化の違いというのを感じました。

東京の結婚産業関係者にお話を伺うと、結婚式は自分たちが作った産業というプライドを感じます。

西日本や東京を離れた地方の人にお話を伺うと、結婚式は生活の中に根付いている文化という感じが残っています。
会場を借りての披露宴とか、神主さんの出張、花束贈呈もすべて東京発祥ということになってますが、もとをただせば文明開化で過去の文化を否定し、関東大震災、東京大空襲などで街が破壊され土地ごとの文化が残らなかったのが背景にあると思われます。

 

ブライダル産業の迷走

一見さん商売
結婚式場は特に、昔このように言われていました。再利用してもらうことはなく、同じ事を繰り返しても大丈夫だったりするわけで、トコロテン方式が成り立つのです。

親主導の結婚式から、二人が結婚式を決めることが多くなったのですが、実際には若い二人にしてみれば何もかも初めての経験であり、ホテルや結婚式場に提案されるままになることが多かったようです。ある意味、会場主導といった形でした。

1970年にピークを迎えた婚姻数は、その後だんだんと減ってゆきましたが、ホテルや結婚式場のいろいろな企画で集客を続けます。1970年代後半からホテルや結婚式場のテレビコマーシャルが一般的になりました。

お城みたいな会場、
新しい演出、
巨大なケーキ 
ドライアイスを使った入場 
天井からゴンドラで降りてきたり
新婚旅行とコラボしたハネムーンパック、
自由さをうたうオリジナルパック
(オリジナルなのにパックというのが当時不思議でした)

若い二人に合わせた企画は、見た目の豪華さや、目先の違うことを狙いすぎて、結婚式を商品化していきます。結婚式って何なのか?をどんどんわからなくさせていきました。同時に結婚式にかかる費用も年々ふくれあがってゆくのでした。
 

 

新しい風と業界再編成の時代 〜1995 平成6年頃〜





バブル期の結婚式

1988年 となりのトトロ
1989年 平成元年 消費税導入
1990年 ベルリンの壁崩壊
 

結婚式が親が準備するモノから、二人のモノに変わっても、立派な結婚式=幸せの価値観は業界の刷り込みもあって維持されてきました。
二人が結婚式を準備することが多くなってきて、立派である必要性に疑問を持ち始めたのです。
それに気付いた人たちが自分達の結婚式を考えるようになりました





バブルの終わりと結婚式

注意
ここからの時代は、話を聞く人によって、まったく違う印象を受けた時代です。
きっと明治維新のように短期間でいろいろなことが起こり混乱した時代だったのだと思います。
なので当時自分が感じた主観で書いてありますことをご了承下さい。

 

1985年、円高是正のプラザ合意後から、株価が急激な上昇をはじめ、世の中はいわゆるバブル時代に入っていきます
時代的には、ちょうど少年ジャンプでドラゴンボールが連載していたあたりです。

 

それまで下降しつづけた婚姻数がふたたび増加に転じます
団塊の世代ジュニアの人たちの結婚期がはじまったのです。

経済的に余裕が出てくると、冠婚葬祭事は派手なってゆくのが世の常のようです。
テレビでは結婚式場のCMがバンバン流れ、ニーズの多様性がおこり、ハデ婚リゾート婚海外挙式こだわり婚が当たり前になってきたのはこの頃です。

経済的に豊かになってより上質なモノへのこだわりが生まれ、ホテルや結婚式場以外、たとえば高級レストランなどで結婚式をする人たちが現れました。


ホテルや結婚式場のトコロテン方式が「嫌だ」という本当のオリジナルを求める人たちが確実に現れてきたのでした。
 

そして1991年、バブル崩壊。
夢は四年半で覚めてしまいました。

ハブルがはじけても婚姻数は増加し続けますが、
景気が悪くなると真っ先に切り詰められるのは、やはり冠婚葬祭事です。

ローコストへの流れで、それまでのホテルや結婚式場のブライダルスタイルへの否定が起こりました。
結婚式はしたいけど無駄なお金はかけたくない

 

意味不明の演出にお金をかけるよりも、最低限これだけは押さえておきたい。
結婚式の何が大事なのかを若い二人が真剣に考えはじめたのかも知れません。


その多くは、テレビ「料理の鉄人」などの影響もあり、街のレストランへ流れてゆきました。
ホテルや結婚式場以外で結婚式を挙げる人の割合が急激に伸びてゆきました。


この頃、そういった結婚式はブライダル産業・結婚産業の業者ではなく、イベント会社が手がけていました。

 

※ホテルや結婚式場以外で結婚式を挙げる人のグラフは筆者の印象のイメージです。

筆者もこの頃から結婚式の写真を撮るようになり、初期の頃のホテル式場以外の結婚式は、ホントに新鮮で人間味あふれるのもので、カルチャーショックを受けた事を覚えています。

脱線しますが、バブル期に大量に発生したコマーシャル系のカメラマンが、バブル崩壊で仕事が急になくなり結婚写真の世界に流れ込んできました。このころから日本のウエディングフォトのレベルが急激に上がってゆきます。
 

ゼクシィー新創刊号
ゼクシィー創刊号

1993年創刊号のゼクシィー
「XY」男と女と書いてゼクシィーと読ませた。

ねるとん紅鯨団 1987-1994に放映された男女がパートナーを捜す人気TV番組lこれが今の婚活パーティーの原型となっています。

1995年 
結婚情報誌ゼクシィーが新創刊されます。

初期の頃は、ブライダル産業以外の結婚式ブームを受けて、自分たちで結婚式を作ろうとする人たちのための情報誌に思えました。
当時ボクはまるで革命が起きたようにうれしく感じました。
それまでの結婚式場やホテル主導の結婚式ではなくて、当事者の二人主導の結婚式に変わってゆくだろうと期待したからです。

実はゼクシィーは1993年に創刊されています。当時は男女の出会い情報提供するネルトン雑誌のような感じでした。
実は時代の流れにのって1995年に結婚情報誌として生まれ変わったのです。

結婚情報誌として生まれ変わった初期の頃、既存のホテルや結婚式場はゼクシィーを相手にせず、広告も出しませんでした。なので、広告が載っているのはレストランやイベント会社か転身したブライダルプロディース会社だったわけです。

当時、新しい風を感じました。
何かがはじまる予感がしました。


数多くの新しい 業種と業者を生まれ、それまでホテルや式場のテナントにならなければ結婚式に関わる事はできなかったのですが、それが崩れていったのです。
 

 



既存の結婚産業からの見解

トコロテン方式
ホテルや結婚式場などはお客さんの流れがスムーズになるように会場を配置して施設を作ってあります。
一方通行後戻り禁止で、待合ロビー→控え室→挙式場→写真室→披露宴会場→出口ロビー。まるで流れ作業のように少ない人員で大人数を捌けるのです。

そういった様子を、結婚式場やホテルの関係者はどうのように見ていたのでしょう?


「あんなところではまともな結婚式は出来ない」

私はこの時代を生きていました。実際そういう言葉を聞いたことがあります。
(地域差もかなりあると思います。意見が分かれるところです)

ホテル・結婚式場以外で結婚を挙げる人は急激に増えたのですが、まだブライダル産業の牙城は揺るぎなかったのです。
ブライダル産業が作り上げたトコロテン方式なら一日に何十組も結婚式を処理することが出来ます。レストランではせいぜい1〜2組です。

危機感を感じるどころか、まともに相手にしてもらえなかった印象です。

クレーム

ホテルや結婚式場以外で結婚式を挙げる。
新しい試みは試行錯誤の連続です。
それは時に新郎新婦や招かれたお客さんからお叱りを受けることもありました。

普通のレストランには、新郎新婦の控え室などありません。だから従業員更衣室や物置、クルマの中で着替えたりしていました。
招待客が待機する場所もありません。雨が降るとみんな傘をさして路上で小一時間待っていたりするわけです。
料理が出るのが遅くなって披露宴が4時間になったり…
大変だった話は逸話のようにたくさん聞いたことがあります。

 

これらを改善する中で、結婚産業のやり方を取り入れたり、結婚産業のOBや転職組が参加していきました。

そこから、結婚式専門レストランハウスウエディングの会場を生みだしてゆくのです。

1995、1996、この頃に今に続く名だたるところが設立されています。
テイクアンドギヴ・ニーズ
プランドゥシー
ベストブライダル
ラヴィファクトリー
 etc.



ゼクシィーの一人勝ち

ゼクシィーの社会現象

ゼクシィーは社会現象と言えるほど大ヒットします。
結婚が決まったらゼクシィーを買う
それが当たり前になりました。
ホテルや結婚式場以外で結婚式を挙げる人も爆発的に増えてゆきます。

そしてとうとう、既存のホテルや結婚式場もゼクシィーを無視できなくなり広告を掲載するようになりました。

この時代のことを紐解くと、どうしてもゼクシィーの手柄のようになってしまうのですが、本当はゼクシィーもブームに便乗した形だと思います。
その背景には団塊ジュニアの結婚期があり、情報を制するところが勝つという図式を示しました。
ゼクシィーの一人勝ちと言われた時もありましたが、
いまでは確実にアンチゼクシィー派がいることも感じられます。

すると何が起こったか

レストランウエディングのはじまり

それまで、ホテルや結婚式場以外で結婚式を挙げる人たちという、
自分が新しい風を感じていたものが、

レストランウエディング

という、ブライダル産業の一部門になってしまいました。それも一晩のウチに・・・

筆者にしてみれば、この新しい風が、1960年代以来の価値観の大変換が起こるのか?と期待していたのですが、すべてが少しだけ形を変えて以前と同じ「さや」に収まっていく感じを受けたのを覚えています。とても虚しかった。新トコロテン方式じゃん。
 






ゼクシィーの登場によって、一番良かったと言われることは明朗会計といわれています。
それまで結婚産業は、かなり高飛車な商売で予約の内金は払わなければ見積もりを出さないと言う会場もあったのです。見積もりを他に漏らしたくなくて。
それがゼクシィーの掲載条件で見積もりを明記しなければならず、互いの会場ははじめて他の見積もりを知りました。
それまで結婚産業の業界は見積もりどころか、まわりのホテルや式場がどんなことをやっているかあまり良くわかってませんでした。それがゼクシィーの広告を互いが見ることによってはじめてまわりの様子が見えるようになったのでした。

その結果どうなったか、良いと思われるアイデアはあっという間に業界に広まり、それはサービス向上になったのですが、システムがより完成され画一的になってゆきました。
最終的に、集客接客から打ち合わせ、当日の進行まで、すべて隙間なくマニュアル化テンプレート可されていくことになります。ファーストフード店並みに。

ゼクシィーの登場によって、結婚式はビジネスとして色がさらに強くなっていきました。
婚礼文化が消えた都市部の人たちが作る情報だから、文化とのハイブリッドも消えてゆきます。
結婚式=商業的なもの
もはや文化ではありません結婚式という名の商品です。
目新しい企画がもてはやされ、あっという間に広まり、そして瞬く間にすたれてゆきます。

また情報誌からの発信は、それが「全国共通の正解」であるようなイメージをあたえます。
まるで結婚式はイベントをするモノだという錯覚。
もし、これを読んでいる方でそのように感じている人がいたら、そのイメージは結婚情報誌から刷り込まれたものだと思います。

結婚式は会場で挙げるもの
もしそう感じていたら、それは結婚産業の広告から刷り込まれたモノだと思います。

情報は雑誌からインターネットへと変わってゆきました。
でもメディアは変わっていっても、そこから発信される情報は、実は今もそんなに変わっていません。
多くの人が結婚産業や情報誌から発信されている結婚式が、結婚式のすべてだと勘違いしています。

 

 

ゼクシィーの功罪

 

まとめ

若い二人がいざ結婚式をしようとすると、結婚式の既成概念にとらわれてしまうのですが、こうして歴史を紐解いてみると、現在多くの人が持っている結婚式の既成概念は、結婚産業が1960年代から刷り込んできた既成概念であることに気付きます。
それ以前も誰かが刷り込んだ既成概念がありました。

産業としての結婚式がすべてではなくて、結婚式の文化から見ればホンの氷山の一角にしか過ぎません。その文化としての結婚式も、そのしがらみが煩わしく疎まれた時代もありました。

結婚式の表面的な部分はその時代の流行にすぎません。

結局は、結婚する二人の気持ちの中で「結婚式にどういう意味を感じてるか」なのだと思います。
それさえちゃんとしていれば、産業だろうが文化だろうが、そこからはずれようが、形は関係なくて二人にとって大切なモノになるのです。


かくいう自分も、産業としての結婚式の中でずーっと仕事をしてきたわけですが、50歳を越えたときに、自分が過ごしてきた結婚式という分野があまりに商売と幼稚なイベントで終わるのが悲しくてつらくて、業界から足を洗ってしまえば簡単なのですが、長年お世話になった結婚式のもっと違う部分を知ってもらいたくて、このページを書き、この「もうひとつの結婚式」という撮影をしています。
願わくば自分のやっていることが、結婚産業の一時の流行にされることなく、組み込まれることもなく、結婚式を産業ではなく人の気持ちから生まれる文化に戻したいと思ってやっています。
 


自分達の幸せは、誰かの既成概念の借り物の価値観ではなく、自分達の心の中に自分達の幸せの価値観があります。
自分達の幸せ感は人から決められることじゃなくて、自分達で感じること。
それに気付いた上で、何で結婚式をするのだろう?と考えて欲しいのです。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

2016年1月11日

三澤武彦

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